2008.02.20 Wednesday
FUNKISTが出来るまでパート4
その日のうちに
「この事は他言しないでいただきたい」
と校長と教頭が家に来て土下座する姿に父がブチ切れて転校とあいまったわけです。
転校先の練馬区は東京らしからぬのんびりとした町で畑なんかもいっぱいでした。冬休みが終わり新学期が始まって数日後。僕は新しい学校の扉を開きました。
その教室には所せましと冬休みの自由創作が飾られていて、中でもだんとつに目をひいたのは無駄にデカいたこでした。たこ上げのタコ。
でかいタコ一面に
『たいじ』
と書いてあり、このタコで鬼でも退治しに行くんだろうか?これ作ったやつ…
バカだな
と思いました。自己紹介も終わり家に帰ると一本の電話がかかって来ました。20年ほど前父がスペインでフラメンコの修業していた頃の友人からでした。(僕の父はフラメンコギタリストです)
「染谷さん!!久しぶり!!」
「おお久しぶり〜」
「今日電話したのはほかでもないんだけど…もしかして…練馬区に住んでない?」
「えっなんで知ってんの?」
「西郷君◯◯小学校の1年一組じゃない?」
「そうだけど…」
「うちの子と一緒のクラスになったっぽいよ(笑)」
電話を切るとテンションMAXな父がけたたましく僕のもとに走りよってきました。
「おい!!お前のクラスに宮田君っていたか?」
「…覚えてない」
「宮田君だぞ!!宮田たいじ君だ!!」
宮田?…たいじ…?
…
…
はっΣ( ̄□ ̄|||)
ぬァぁぁぁぁああ゛〜!!
「タコ…」
「タコ?」
「たいじって書いてあるタコあった」
と言うわけで20年前スペインで仲間だった宮田さんと染谷さんは偶然にもご近所さんとなって、あげくに同じ年に生まれた息子どうしが同じ小学校の同じクラスになる。というミラクルに成功してしまったわけです。
互いに鍵っ子で一人っ子だった染谷少年と宮田少年は兄弟のように育てられました。僕が友達と遊んでから家に帰ると
「おかえり。そめちん遅かったね」
とすでに僕の家で待っている事もありました。おーい!!俺の家だぞー。
そんな時でした。困った問題が起きたのです。そもそも宮田少年は梅干しが大好きで、僕の家に来ると冷蔵庫を勝手に開けて梅干しを一瓶全部食ってしまうのです。
あっ!この話しどうでもいいや。
とにかく
ビックリマンごっこ
筋肉マンごっこ
ドラゴンボールごっこ
を経て2人はすくすく育ちました。しかしやがて別れの日はやってきます。中学校は宮田少年は私立に行く事が決まったのでした。僕は地元の区立でした。
そして2人は中学進学を境いに会うことも次第に無くなっていきました…
―8年後―
そう。今20才になった僕の目の前にあの宮田たいじが、いや宮ちゃんがいるでは無いですか。
コンビニの店員として働いているではありませんか。突然の出来事に一度店を出ました。
「スぅハぁ〜」
大きく深呼吸するともう一度店に入り、さも今気付いたかのように
「あれ?宮ちゃんじゃない!?」
「うおぉぉ〜染ちん!?」
「久しぶりだなぁ〜!!宮ちゃん今なにやってんの?」
「俺音楽やってるよ!!染ちんは?」
「俺も歌ってるよ〜!!」
とひとしきり盛り上がりレジにも長蛇の列が出来上がった所で刺さるような視線に耐えられなくなり店を出ました。その日の夜遊ぶ約束を交わして。
夜になり宮田の家に行くと当時テクノ少年だった宮田は打ち込み系の音楽にノリノリでコンビニの廃棄弁当をくれました。
そのままノリで曲作っちゃうかぁ〜!!と盛り上がり2人で曲を作りました。
ドラゴンボールごっこの延長線上に音楽があった事を実感。
すごい集中力で作り上げた作品は斬新でくだらなくて、最高の曲でした。
こいつと音楽やったら絶対に面白い!!
「一緒にバンドやろう」
そう言おうとして僕はやめました。
来月から旅が待ってる。今はそれに集中しなくちゃ。
と考えていると宮田から
「俺さ、来月からアメリカの音楽学校に行くんだ。」
と切り出してきました。
「お、おお!!奇遇だね!俺も来月からヨーロッパなんだよ」
「そうか。俺さ来年夏休みに3ヶ月だけ日本に帰るから。そん時また音楽作ろうよ」
「おう!!じゃあ俺が日本でメンバー集めとくからバンドやろうぜ!!」
こうして一年後の夏、3ヶ月限定でバンドをやる約束を交わし、宮田はアメリカへ僕はヨーロッパへ旅だって行きました。
それが後のFUNKISTになるともしらずに
―続く―
『雨の日の秋』
約束の果てに無くした空
先急ぎ遠くへ飛んでいく今
誰よりも高く飛べると誓った空
先急ぎ無くした命と今
世界よ変われ あなたに願いを
世界よ変われ みんなの声で
もうなにも求めないで
僕は手に握った飴さえも投げられないんだから
もうもとめないで…
永遠に永遠に永遠に終わらないものよ
永遠に永遠に終わらない 僕の音楽の魂よ
nananana…
「この事は他言しないでいただきたい」
と校長と教頭が家に来て土下座する姿に父がブチ切れて転校とあいまったわけです。
転校先の練馬区は東京らしからぬのんびりとした町で畑なんかもいっぱいでした。冬休みが終わり新学期が始まって数日後。僕は新しい学校の扉を開きました。
その教室には所せましと冬休みの自由創作が飾られていて、中でもだんとつに目をひいたのは無駄にデカいたこでした。たこ上げのタコ。
でかいタコ一面に
『たいじ』
と書いてあり、このタコで鬼でも退治しに行くんだろうか?これ作ったやつ…
バカだな
と思いました。自己紹介も終わり家に帰ると一本の電話がかかって来ました。20年ほど前父がスペインでフラメンコの修業していた頃の友人からでした。(僕の父はフラメンコギタリストです)
「染谷さん!!久しぶり!!」
「おお久しぶり〜」
「今日電話したのはほかでもないんだけど…もしかして…練馬区に住んでない?」
「えっなんで知ってんの?」
「西郷君◯◯小学校の1年一組じゃない?」
「そうだけど…」
「うちの子と一緒のクラスになったっぽいよ(笑)」
電話を切るとテンションMAXな父がけたたましく僕のもとに走りよってきました。
「おい!!お前のクラスに宮田君っていたか?」
「…覚えてない」
「宮田君だぞ!!宮田たいじ君だ!!」
宮田?…たいじ…?
…
…
はっΣ( ̄□ ̄|||)
ぬァぁぁぁぁああ゛〜!!
「タコ…」
「タコ?」
「たいじって書いてあるタコあった」
と言うわけで20年前スペインで仲間だった宮田さんと染谷さんは偶然にもご近所さんとなって、あげくに同じ年に生まれた息子どうしが同じ小学校の同じクラスになる。というミラクルに成功してしまったわけです。
互いに鍵っ子で一人っ子だった染谷少年と宮田少年は兄弟のように育てられました。僕が友達と遊んでから家に帰ると
「おかえり。そめちん遅かったね」
とすでに僕の家で待っている事もありました。おーい!!俺の家だぞー。
そんな時でした。困った問題が起きたのです。そもそも宮田少年は梅干しが大好きで、僕の家に来ると冷蔵庫を勝手に開けて梅干しを一瓶全部食ってしまうのです。
あっ!この話しどうでもいいや。
とにかく
ビックリマンごっこ
筋肉マンごっこ
ドラゴンボールごっこ
を経て2人はすくすく育ちました。しかしやがて別れの日はやってきます。中学校は宮田少年は私立に行く事が決まったのでした。僕は地元の区立でした。
そして2人は中学進学を境いに会うことも次第に無くなっていきました…
―8年後―
そう。今20才になった僕の目の前にあの宮田たいじが、いや宮ちゃんがいるでは無いですか。
コンビニの店員として働いているではありませんか。突然の出来事に一度店を出ました。
「スぅハぁ〜」
大きく深呼吸するともう一度店に入り、さも今気付いたかのように
「あれ?宮ちゃんじゃない!?」
「うおぉぉ〜染ちん!?」
「久しぶりだなぁ〜!!宮ちゃん今なにやってんの?」
「俺音楽やってるよ!!染ちんは?」
「俺も歌ってるよ〜!!」
とひとしきり盛り上がりレジにも長蛇の列が出来上がった所で刺さるような視線に耐えられなくなり店を出ました。その日の夜遊ぶ約束を交わして。
夜になり宮田の家に行くと当時テクノ少年だった宮田は打ち込み系の音楽にノリノリでコンビニの廃棄弁当をくれました。
そのままノリで曲作っちゃうかぁ〜!!と盛り上がり2人で曲を作りました。
ドラゴンボールごっこの延長線上に音楽があった事を実感。
すごい集中力で作り上げた作品は斬新でくだらなくて、最高の曲でした。
こいつと音楽やったら絶対に面白い!!
「一緒にバンドやろう」
そう言おうとして僕はやめました。
来月から旅が待ってる。今はそれに集中しなくちゃ。
と考えていると宮田から
「俺さ、来月からアメリカの音楽学校に行くんだ。」
と切り出してきました。
「お、おお!!奇遇だね!俺も来月からヨーロッパなんだよ」
「そうか。俺さ来年夏休みに3ヶ月だけ日本に帰るから。そん時また音楽作ろうよ」
「おう!!じゃあ俺が日本でメンバー集めとくからバンドやろうぜ!!」
こうして一年後の夏、3ヶ月限定でバンドをやる約束を交わし、宮田はアメリカへ僕はヨーロッパへ旅だって行きました。
それが後のFUNKISTになるともしらずに
―続く―
『雨の日の秋』
約束の果てに無くした空
先急ぎ遠くへ飛んでいく今
誰よりも高く飛べると誓った空
先急ぎ無くした命と今
世界よ変われ あなたに願いを
世界よ変われ みんなの声で
もうなにも求めないで
僕は手に握った飴さえも投げられないんだから
もうもとめないで…
永遠に永遠に永遠に終わらないものよ
永遠に永遠に終わらない 僕の音楽の魂よ
nananana…