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FUNKISTのつくりかた

染谷西郷 特別企画ブログ
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FUNKISTが出来るまでパート5
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    あらすじ

    8年ぶりに宮田と再会した染谷青年。しかし宮田ごときには目もくれずついに念願だった世界放浪紀に出発だ!!行け機動戦士染ダム!!戦え赤い彗星シャーめ谷西郷!!

    『Vol.5 平和の答え』

    ほぼノープランで行われる旅でしたが日本を出る前に唯一申し込んだツアーがありました。ポーランドでの平和学習のツアーでした。


    第二次世界対戦中ドイツに侵略されアウシュビッツ強制収容所でユダヤ人が大量虐殺された場所。
    この歴史のなにかが南アフリカの今と重なっている気がしてならなかったのです。しっかり学ぶために日本人ガイドのツアーに申し込みました。このガイドさんとの出会いが僕の音楽感を大きく変える事になるとも知らずに。

    そして僕を乗せた飛行機がいよいよ飛び立ちます

    最初に降り立ったのはロンドンヒースロー空港。少しの着替えと貯めたお金を握り締めやって来たぞヨーロッパ!!

    泊まる場所も行き先も何も決まっていないこの旅。

    唯一決まってるのは50日後にポーランドにたどり着かなきゃならないという事だけ。

    イングランドから始まりスコットランド→ウェールズ→フランス→スペイン→イタリア→ギリシャ→ドイツと電車を使って渡り歩き49日目ついに7ヶ国目ポーランドにたどり着きました。

    この間スペインで見たピカソが描いた「ゲルニカ」に心臓をえぐられたり、フランスのフランスパンに感動したりイタリアのタクシードライバーにぼったくられたり、ギリシャのスリとスラれかけて喧嘩になったりいろんな事が目まぐるしい早さで起こっていきました。

    「生きてりゃなんとかなる」
    と自分に言い聞かせながらたどり着いたポーランド。いよいよツアーに参加です。

    ツアーバスに乗り込むとガイドのかたの説明がありました。

    当時ポーランドでアウシュビッツのガイドをやるには超難関の国家資格を取得しなくていけませんでした。その試験があまりに難しくそして厳しいため資格を持つ人間は世界に3人しかいなかったのです。一人はポーランド人。一人はドイツ人。そしてもう一人がなんと
    中谷さん

    そう日本人であり今回僕のガイドを引き受けてくれたその人でした

    バスが着いた先は公園のような広場でした。そこで中谷さんから挨拶がありました。忘れられない挨拶が

    「こんにちは今回みなさんのガイドをさせていただく仲谷です。
    さて、今みなさんが立っている場所は戦争中《ゲットー》と呼ばれユダヤ人はこのエリアから出る事を許されませんでした。豊かなユダヤ人も子供でもお年寄りでも、ユダヤ人はみな住む場所を追われこの地区に強制的に連れてこられました。左手に小さな駅が見えますね。あの駅からアウシュビッツへ向けて電車が走り、何人ものユダヤ人が連れて行かれそしてその尊い命を奪われました。

    さて。僕からみなさんに質問があります。

    世界から戦争が無くなるになるために、あなたはなにが出来ますか?
    あなたがなにをしたならば世界は平和になりますか?」


    誰も答えられませんでした。少しの沈黙が流れた後中谷さんが口を開きました

    「僕から提案が一つある。みなさんはこの数日のツアーの中で、《どうしたら世界から戦争がなくなるか?》の答えを探していただきたい。ツアー中はいつもそれを考えていただきたい。最終日。各々の答えを、僕に聞かせてください」

    といいました

    「平和の答えか。まぁそれが知りたくて来てんだし、その答えがわかるならラッキーだな」

    くらいに僕は思ってました。

    中谷さんは言葉や表情にとても優しさの溢れたかたで、いつも一緒にツアーに参加してる子供達にもわかる言葉を選んでいました。

    その半面戦争の歴史を語る時の迫力は凄まじく、語り口こそ静かでしたが彼の中の感情という名の青い炎がメラメラと燃えていくのをいつも感じました。

    その日の夜。晩御飯を食べながら仲谷さんとゆっくり話すチャンスがあったので僕は

    「なぜポーランドでガイドをしようと思ったのですか?」

    と訪ねました。

    すると

    「僕はね、学生の時に観光で友達数人とポーランドに来たんだ。その時たまたま行ったアウシュビッツで衝撃を受けてね。これは誰かが伝えていかなきゃマズイ!!俺こんな事してる場合じゃないな。って思い立ってね。翌日友達に、俺日本に帰んない!!って伝えてさ(笑)そこからポーランド語猛勉強しながら歴史の勉強必死でしてさ。で今にいたるんだよね」


    …うそぉぉぉお゛お゛ん!Σ( ̄□ ̄|||)

    なんて熱い男なんだぁ!!

    まったくもってむちゃくちゃです。観光で来た人が帰るのやめちゃうんですよ!!

    中谷さんがなんだか大好きになりました。

    翌朝からゲットーに住んでたかたのお話しを伺ったり、ドイツ軍に破壊された町を戦後まったく昔のままに再現して作り直した旧市街を見たりのツアーが始まりました。

    歴史上ポーランドは何回も侵略を受けていてその都度破壊されて来たそうです。

    なのでこの旧市街を当時のままに復活させる事、二度と壊されないように大切にまもる事こそがポーランド人の誇りであり戦いなのだという話しを聞きました。

    古い町並みに住む人、噴水前で笑いをとる大道芸人。無邪気に笑う子供達。それを優しい目で見守るお年寄り。この街に、この場所に溢れる愛情を愛着を、胸いっぱいに感じた一日でした。

    翌日いよいよ僕らはアウシュビッツへやってきました。つくやいなら中谷さんの目が鋭くなりました

    「みなさんにはしっかり理解していただきたい。この場所は沢山の方が亡くなった場所です。なくなったかたの親族の方も来ています。絶対に騒がないでいただきたい。真剣に聞いていただきたい。
    みなさんの横にある金網。これは戦争当時電流が流れていました。ドイツ兵はユダヤ人を金網に追い詰め銃で撃たれるか金網をよじ登るかを選ばせて殺した。そんな話しものこってます。」

    それまでザワザワしていたツアーも一気に水をうったように静まりかえりました

    「昔僕がこの話しを日本人ツアー客のサラリーマン3人組にした時にね、その人達が話しを聞き終わるやいなや僕にカメラを渡して金網に歩み寄ってね、「ぐわ痺れたー!!(笑)」なんて感電したポーズをとってね。僕に写真を撮れって言われた事がありました。」

    話しながら中谷さんの目は真っ赤になって行きました

    「僕は悔しかった。同じ人間として。僕は彼等を置いて帰りましたよ。数時間後本部に苦情が来てすごく怒られました。だけど僕は謝らなかった。大人げないとは思うけど後悔はしてない。
    今回も僕はみなさんに本気で自分の知るアウシュビッツを伝えるつもりです。よろしくおねがいします」

    そう言うと中谷さんは静かに歩き出しました。

    この人は本気だ
    一つも聞き逃さないぞ!!と思いました。

    アウシュビッツの中を歩きながら、麻酔も使わず生きた人間の解剖実験をした部屋、毛糸を作るため人間の髪の毛を大量に刈り取った部屋。
    お金になると言う理由で全て抜き取られた金歯が置いてある部屋。酷く過酷な生活。1ヶ月と持たない命。女性子供はやくに立たないと一成に殺されたガス室跡。

    銃殺処刑が毎日繰り返された処刑場。無数に並ぶ亡くなったかたの写真。
    もはや全てが現実離れしすぎて頭では理解出来るのですがその時は心は真っ白でした。


    全てのガイドが終わると中谷さんがみなさんに会わせたい人がいる。と言ってアウシュビッツの館長さんの元へ連れて行ってくれました。

    とても優しそうなお爺ちゃんといった印象の館長さんから出た一言目に僕は驚かされました

    「私はね、この場所が大嫌いなんだよ。なぜなら戦時中、私はこのアウシュビッツで強制労働をさせられていた人間なんですから。」


    そう!!彼はドイツ軍によってアウシュビッツに入れられた人だったのです。館長さんはゆっくりと話し始めました

    「戦時中私は父と収容所に入れられた。まだ若かった私は父がいてくれる事が唯一の心の支えでね。でも日に日に父はやつれていってね。数週間後には父は病気に倒れ死んだんだよ。私は悲しくてね。母もおそらくもう殺されただろう。父もいない。すっかり生きる気力を失ってね。自分で死のうとしたんだよ。そんな時だった。収容所で仲良くなった友達が私に言ったんだ。『お前が死んでどうするんだよっ!!お前は死んだお父さんの分まで必死に生きろ!!お父さんがここで生きてた事を証明出来んのはお前だけなんだぞっ!!生きろ!お前は絶対に生きろ』って言ってくれてね。私は目が覚めた。それから終戦までの5年間をこのアウシュビッツで生き抜いたんです。」

    5年。平均寿命数週間の収容所で5年…

    するとツアー客の中の子供が言いました

    「なぜ館長さんは5年も生きのこれたんですか?」

    「それはね3つの理由があるんだよ。一つは私には優しい父がいてくれた事。もう一つは私には大切な友達がいてくれた事。そしてもう一つは、たまたま私はラッキーだったんだろう。」

    と言うと館長さんは優しく微笑み

    「ドイツ軍が撤退した後私はここに父が生きてた事、友達が生きてた事を伝える為に残った。もう二度とあんな事が起こらないように。一番嫌いなこの場所に、残ったんだよ。」


    言葉にならない思いでいっぱいでした。

    後で聞いた話しですが戦後アウシュビッツは負の遺産だから壊そう。という話しが何度も持ち上がったそうです。その度に館長さんを筆頭に立ち上がり、呼びかけてアウシュビッツを今まで残して来たそうです。二度と次の誰かが同じ悲しみをあじあわなくてすむようにと。」


    それから数日後。長く感じたツアーもいよいよ最終日を迎えていました。その日の夜中谷さんが切り出しました

    「さて。みなさんに最初にした質問。
    《世界から戦争がなくなる為に》の答え。みなさん教えてください。」

    するとみんな思い思いいに話し始めました。

    でも誰一人答えとよべるものは出てきませんでした。ため息とともに沈黙が訪れます。


    中谷さんがゆっくりと話し始めました


    「僕ね思うんですよ。もしかしたら答えなんて無いんじゃないかな?って。でもね、世界中のみんなが『世界から戦争が無くなる為にはなにをしたらいいんだろう?』って考えた日。世界から戦争は消えるんじゃないかって思うんです。だからあなたにも《世界から戦争がなくなるためには?》の旅。これからも続けて欲しいんです。短い間でしたが本当にありがとうございました。ツアーガイドの中谷でした」

    くそっやられた!!
    一生もんのクエスチョン背おっちまったぜ。

    くっそー俺この人みたいになりたいなぁ!!
    この人みたいに伝えられる人間になりたいなぁって本気でそう思いました。

    翌日空港に向かうバスの中で僕は中谷さんに約束をしました

    「中谷さん。僕歌うたってるんだ。だからさ、自分の言葉で中谷さんから教えてもらった事、南アフリカの事。歌っていくよ。約束する」

    すると仲谷さんはニコっと笑い

    「嬉しいよ」

    と手を差し出しました。

    硬い握手を交わしました。さぁお別れです

    僕は飛行機にのるツアー客を見送り、仲谷さんのバスを見送り一人電車で旅の後半戦に向かいました。

    そしてそれから一ヶ月…

    僕は日本に帰って来ていました。90日の旅の思い出とその後ギリシャで手に入れたあコースティックギターを一本持って。


    さぁ。



    そろそろ歌おうか

    ?続く?


    「カラーズ」

    始めから誰も見ない 遠い国で消える未来なんてなんもかんも 金次第か?この世界おかしかないか?

    子供達が問う。そうあなたに

    「本当に人の命は平等ですか?」

    苦笑いの大人達俺もそうさ変わらない

    胸を張って答えたいだけなんだって
    「変わんねえよ。俺の命だって君の命だって」
    そうサウスアフリカンジャパニーズ 居場所なんて始めから持ってない

    L→Rのこのストーリー
    始まりから終わりのLIKEa ジャーニー

    歌う声が響くまであなたに
    砕け行く心は凍り 本当は誰かをもとめ続けコーリング

    温もりを求めただけ

    ワッツ ゴーイン オン
    光を持つ人よ
    明日を照らしてくれ
    痛みを持つ人よ…

    何度でも僕は声を上げるこれが僕の最後のステージだとしても

    ウーラララ君に届くようにカスレ行く世界に今
    | FUNKISTが出来るまで | 11:11 | comments(2) | - | - | - |
    始めまして。田中優さんのブログでFUNKISTのHPに飛びました。なのでまだあまり曲のことなど知りません。でも、ブログとても興味深く読ませて頂きました。私は18年くらい前妹と”アウシュビッツ収容所”訪れたことがあります。ガイドではなく、自分たちで回りました(ガイドの仲谷さん、知っていたら是非お願いしたかった)。あの時の押しつぶされそうな苦しい感情を思い出します。実は恐ろしくてガス室の見学は出来ませんでした。あとは多分一通り見て回ったと思います。
    見学者にどこかの国の男の人達がいたのですが、「死の壁」つまり毎日沢山のユダヤ人を銃殺した壁の前で記念写真を撮っていました。それがとても悲しかった。
    見学した後、妹とすっかり沈んでベンチに座っていたその時「あなたたち日本人?」と日本語が!はっとして見ると、その方はドイツ人と結婚された方で、高校生の子供さんと見えたとのことでした。残念なことにドイツ人の若者にアウシュビッツを知らない人が増えているのよ、と話されていました。
    日本の若い人たちも、日本のどこに、何月何日に原爆が落とされたのか知らない人が増えているのと同じですね。
    世界中の人が「どうしたら戦争なくせるのかな」と考え始めたら・・の話、とても感動しました。
    これからも時々読ませて頂きますね。ありがとうございました。
    | 増田 薫 | 2008/09/23 4:37 PM |

    あたしもずっとず―っと昔から、アウシュビッツ行ってみたくて…。きっと目の当たりにしたら、ただただ呆然としてしまうだろうけど。
    世界が平和になるには、自分になにができるか。
    やっぱり何をするには、まず自分には何ができるんだろうって考えるところから始まるんですよね。
    あたしには何ができるんだろう。あたしにも一生をかけて答えを見つけたいことができた気がします!!
    | 佳那 | 2008/02/27 2:03 AM |