2008.02.20 Wednesday
FUNKISTが出来るまでパート6 最終話
「染谷先輩ナイッシュー!!」
「うっせー一年!!玉拾いに行けぇ!!バカバカバカ」
中学3年生になった僕はサッカー部でレギュラーでした。ポジションはサイドバック。
仲のいいタクローはゴールキーパー。一試合で12失点した事もある練馬区が誇る最強の守備陣でした。
それでも学校内ではえばっていいのです。
3年生は偉いのです。
1年生は玉拾え。
その年入部したタクローの弟も例外ではなく玉拾い。
「染谷先輩ナイッシュー!!」
「うっせー!!ヨシロウ!玉拾いってこいっ!!バカバカ」
―6年後―
ヨーロッパから戻った僕は父親の仕事の手伝いで市原悦子さんのレコーディングに来ていました。
こよなく愛するサッカーマガジンを片手に持って。
「あれっ?染谷先輩っ!?」
聞き覚えのある声が人けの無い廊下に響き渡りました。
「ヨシロウ?」
振り向くとそこにはサッカー部の後輩であり親友タクローの弟でもあるヨシロウが立っているではありませんか!!
手には楽譜を抱えて…
僕はヨシロウが中学時代にこき使われた仕返しに来たのかと思い
「お前…なにしてんの?」
と訪ねると
「今日のアレンジャーの方について音楽の勉強してるんですよ!!先輩は?」
「おっ、おう今日ギターで参加する父親の手伝いにな」
「てつ…だい…?」
と言うとヨシロウは自分のもってる楽譜から僕の持っているサッカーマガジンに視線をゆっくり移していきました。
うっせーバカバカなんか文句あんのかコノヤロー!!楽譜がそんなに偉いのか?いいえ偉くはありません。サッカーマガジンのが遥に偉い。エジソンくらい偉い。楽譜には選手は一人もいないけどサッカーマガジンにはもれなく生き生きとした選手が何人もいるからな。はい圧勝!!サッカーマガジン圧勝〜!!
と心で思いほくそ笑む僕をヨシロウはハテナマークいっぱいに眺めてました。
仕事の合間に今なにをしてるか聞くと音楽を勉強してるがバンド活動はしていない。バンドをやりたい。と言うので
「半年くらいしたらお前の兄貴とも小学校同級生だった宮田とバンド始めるから一緒にやろうよ」
というとヨシロウは二つ返事でOKしました。
実は
「FUNKISTが出来るまでパート1」
に書いた僕の人生初ライブにヨシロウは客として来ていたのです。そこで僕の歌を高く評価してくれていた事もあり話しはトントンびょうしに進んで行きました。
時を同じくして宮田青年。
テクノ、ハウス系の音楽を学びにアメリカで修業中の宮田。
だったのですが
「波計にはもう飽きたんだよっ!!」
と泣き言を言い出してほとんど弾いたことも無いギターに転向…
世界一の音楽大学とも呼び声高いバークリー音楽大学史上もっとも下手くそなギターリストがここに誕生したのである(どどーん)
―数カ月後―
5月30日ついにギター歴半年のミュージシャンが日本に帰ってきました。
染「おかえり!!約束通りバンドのメンバーそろえといたぜ!!」
宮「おう俺もばっちり揃えといたぜ」
染・宮「えっ?」
2人とも揃えたらあかんがなぁ〜(T_T)
というわけでFUNKISTの初期編成
ギター3人
(宮田・ヨシロウ含む)
キーボード1人
ベース2人
(オガチ含む)
ボーカル2人
ドラム1人
多すぎるわっ!!
染「お前バカか?俺が揃えとく言っただろう」
宮「バカ?バカって言ったの?バカって言う奴のがバカなんだぞ」
「きー!!」
「ぎぃえー!!!」
ポカポカポカポカ
ハァハァハァハァ
と
ひとしきり喧嘩し終わった所で
「ハァハァ。誘っちゃった手前やるしかねえだろう」
「…だな」
という事に落ち着き無駄に9人編成のバンドが始まりました。
事件は最初のスタジオで勃発しました。
スタジオに入り音をだす。
ものの数分。
メンバーの一人が言いました
「ベースは2人いらないと思う。」
バカやろう〜!!そんな事こっちはやる前からきづいてんだよぉ!!
と思いながらも
「そ、そうかな?俺は舞台に弾いたり弾かなかったりするベーシストがいるっていうのアりだと思うよ。…なぁ?宮ちゃん」
「お…おう。そりゃもう!弾く気満々で舞台に立ってるのに弾かない!!あのベーシスト弾きそで弾かない!!バークリーにもいない!!すごいオリジナリティーだよ」
しーん
すると何か身の危険を感じ取ったのかオガチが突然叫びました
「俺やだよっ!!絶対にベース弾くからね!!」
この日から染谷&宮田による「パーカスがいかに素晴らしい楽器か」
というあくなき説得が続き3ヶ月後にはベースを弾いたり弾かなかったりパーカスを叩いたり舞台をウロウロしたりするベーシスト(?)が誕生しました。
オガチすまん
さて。ライブを決めようと思いますがライブなんて一回しかやった事ありませんから。
とりあえず宮田と公衆電話を探し町を駆け回りタウンページを見つけるやいなら
「ライブハウス」
を調べました。
どうせ選ぶならかっこいい名前のお店にしよう。
と言う事で2人が選んだのが
「ロサンゼルスクラブ東高円寺」
この店のすごいのは住所は南高円寺。最寄りの駅は新高円寺。なのにロサンゼルス。であり東高円寺
どこやねーん
超かっこいい!!
という事で早速電話しました
ぷるるる…ガチャ
「はい。ロサンゼルスクラブ東高円寺です」
「(カッコイイ!!)あの〜僕らライブがすごくしたいです」
「はぁ?」
「本気です!!」
「は、はぁ?ブッキング希望ですか?ホールレンタルですか?」
ぶっきんぐ???はにゃ?なんじゃそりゃ?
恐ええ。ライブハウス恐ええ。
「ほ、ホール…レンタルで…」
かくして望まずして僕らの最初のライブはワンマンライブになりました。
3ヶ月間でワンマン!!
そりゃあ必死で練習しました。
俺は歌い!宮田は学んだ音楽知識を惜しみなく使い、ヨシロウはギターを掻き鳴らし、オガチは興味のないボンゴを叩いたりウロウロする!!
そしてけしてうまくは無かったけれど、僕らの初ライブは大成功で終わりました。完全燃焼でした。
あっという間の3ヶ月。
喧嘩をして、諦めて、踏ん張って、喜んだ3ヶ月間
メンバーはみんなすごく仲良くなっていました。
宮田がアメリカに帰る日。みんなで飛行場に見送りに行きました。
みんなの頬をつたう涙
そしてみんな思い思いのプレゼントを宮田にあげました
俺はキットカットを
オガチとヨシロウはフリングルスを
キーボードとベースはコーラを
宮田は涙を浮かべなから
「全部…アメリカで…買えるよ」
を最後の言葉にアメリカへ旅立っていきました。
染「しょうがねえなぁ〜。宮ちゃん帰って来た時戻る場所ないとあいつまた泣くからなぁ。バンド続けといてやるかぁ」
ヨシロウ「そうっすね」
オガチ「俺ベースを…」
かくして沢山の荒波を越えて今に続くFUNKIST船は大海原に飛び出しました
病気に全てを奪われたあの日。この日の僕の姿は夢物語だったはず。
暗い部屋で一人膝を抱えた日。こんな風に笑える自分がいる事を知らなかった
南アフリカで少女が僕に微笑みかけた日。世界に希望がある事に僕はきづけなかった
アウシュビッツの悲しい声に耳を傾けた日。僕の声は音を無くした
それでも仲間と呼べる人間と出会う度、僕の人生は輝きを取り戻しいつも眩しいほどの光りを感じるのです
孤独、仲間、音楽、命、
その全部をイコールで結んだ所にあるもの。
それがFUNKIST。
そうそれが僕のFUNKIST
僕の知る
『FUNKISTが出来るまで』
―完―
『月下のラスタカラー』
誰の声も聞こえない 僕ら走りだしたら止まれない
覚えきれる事は数少なく でも大切な事は忘れない
踊ろうダンスパーティーだ
みんな騒げこれが最後でもいいように
この歌のラスト作り上げる ここに集いしみんなのミュージックで
いぇーい(いぇーい)
1Day 1Night
一期一会の事を忘れていくぐらいなら僕は生きてても無意味
一人で笑えるほど強くなんかなりたくも無いし
誰かを思えるんなら それが僕ら一番の強み
人は流れ時も流れ 僕はまた君の事を想いました
時に明日が見えずに涙流れ でもみんなの笑顔に涙は枯れ
いつもどんな時でもわかりあえた 時間がたつの忘れ語り合った
あの日を胸に僕は今を生きる みんなで忘れないように 月と踊ろう
《あとがき》
長いストーリー最後まで読んでくれた人ありがとう。
僕は過去を振り返る事が大好きです。
その場所に留まる事も時には大切だとも思ってます。
どうやらいつも前ばかり見て進んでいけるほど強くもないようです。
そんな自分だからこそ過去を何度も振り返り、そこに置いてきてしまった痛みや苦しみに触れ、一つ一つ受け止めそして越えていきたい。
強くならなくてもいい
優しくなれるなら。
全ての出会いが僕を作ってる。
出会ってくれてありがとう
FUNKIST染谷西郷
「うっせー一年!!玉拾いに行けぇ!!バカバカバカ」
中学3年生になった僕はサッカー部でレギュラーでした。ポジションはサイドバック。
仲のいいタクローはゴールキーパー。一試合で12失点した事もある練馬区が誇る最強の守備陣でした。
それでも学校内ではえばっていいのです。
3年生は偉いのです。
1年生は玉拾え。
その年入部したタクローの弟も例外ではなく玉拾い。
「染谷先輩ナイッシュー!!」
「うっせー!!ヨシロウ!玉拾いってこいっ!!バカバカ」
―6年後―
ヨーロッパから戻った僕は父親の仕事の手伝いで市原悦子さんのレコーディングに来ていました。
こよなく愛するサッカーマガジンを片手に持って。
「あれっ?染谷先輩っ!?」
聞き覚えのある声が人けの無い廊下に響き渡りました。
「ヨシロウ?」
振り向くとそこにはサッカー部の後輩であり親友タクローの弟でもあるヨシロウが立っているではありませんか!!
手には楽譜を抱えて…
僕はヨシロウが中学時代にこき使われた仕返しに来たのかと思い
「お前…なにしてんの?」
と訪ねると
「今日のアレンジャーの方について音楽の勉強してるんですよ!!先輩は?」
「おっ、おう今日ギターで参加する父親の手伝いにな」
「てつ…だい…?」
と言うとヨシロウは自分のもってる楽譜から僕の持っているサッカーマガジンに視線をゆっくり移していきました。
うっせーバカバカなんか文句あんのかコノヤロー!!楽譜がそんなに偉いのか?いいえ偉くはありません。サッカーマガジンのが遥に偉い。エジソンくらい偉い。楽譜には選手は一人もいないけどサッカーマガジンにはもれなく生き生きとした選手が何人もいるからな。はい圧勝!!サッカーマガジン圧勝〜!!
と心で思いほくそ笑む僕をヨシロウはハテナマークいっぱいに眺めてました。
仕事の合間に今なにをしてるか聞くと音楽を勉強してるがバンド活動はしていない。バンドをやりたい。と言うので
「半年くらいしたらお前の兄貴とも小学校同級生だった宮田とバンド始めるから一緒にやろうよ」
というとヨシロウは二つ返事でOKしました。
実は
「FUNKISTが出来るまでパート1」
に書いた僕の人生初ライブにヨシロウは客として来ていたのです。そこで僕の歌を高く評価してくれていた事もあり話しはトントンびょうしに進んで行きました。
時を同じくして宮田青年。
テクノ、ハウス系の音楽を学びにアメリカで修業中の宮田。
だったのですが
「波計にはもう飽きたんだよっ!!」
と泣き言を言い出してほとんど弾いたことも無いギターに転向…
世界一の音楽大学とも呼び声高いバークリー音楽大学史上もっとも下手くそなギターリストがここに誕生したのである(どどーん)
―数カ月後―
5月30日ついにギター歴半年のミュージシャンが日本に帰ってきました。
染「おかえり!!約束通りバンドのメンバーそろえといたぜ!!」
宮「おう俺もばっちり揃えといたぜ」
染・宮「えっ?」
2人とも揃えたらあかんがなぁ〜(T_T)
というわけでFUNKISTの初期編成
ギター3人
(宮田・ヨシロウ含む)
キーボード1人
ベース2人
(オガチ含む)
ボーカル2人
ドラム1人
多すぎるわっ!!
染「お前バカか?俺が揃えとく言っただろう」
宮「バカ?バカって言ったの?バカって言う奴のがバカなんだぞ」
「きー!!」
「ぎぃえー!!!」
ポカポカポカポカ
ハァハァハァハァ
と
ひとしきり喧嘩し終わった所で
「ハァハァ。誘っちゃった手前やるしかねえだろう」
「…だな」
という事に落ち着き無駄に9人編成のバンドが始まりました。
事件は最初のスタジオで勃発しました。
スタジオに入り音をだす。
ものの数分。
メンバーの一人が言いました
「ベースは2人いらないと思う。」
バカやろう〜!!そんな事こっちはやる前からきづいてんだよぉ!!
と思いながらも
「そ、そうかな?俺は舞台に弾いたり弾かなかったりするベーシストがいるっていうのアりだと思うよ。…なぁ?宮ちゃん」
「お…おう。そりゃもう!弾く気満々で舞台に立ってるのに弾かない!!あのベーシスト弾きそで弾かない!!バークリーにもいない!!すごいオリジナリティーだよ」
しーん
すると何か身の危険を感じ取ったのかオガチが突然叫びました
「俺やだよっ!!絶対にベース弾くからね!!」
この日から染谷&宮田による「パーカスがいかに素晴らしい楽器か」
というあくなき説得が続き3ヶ月後にはベースを弾いたり弾かなかったりパーカスを叩いたり舞台をウロウロしたりするベーシスト(?)が誕生しました。
オガチすまん
さて。ライブを決めようと思いますがライブなんて一回しかやった事ありませんから。
とりあえず宮田と公衆電話を探し町を駆け回りタウンページを見つけるやいなら
「ライブハウス」
を調べました。
どうせ選ぶならかっこいい名前のお店にしよう。
と言う事で2人が選んだのが
「ロサンゼルスクラブ東高円寺」
この店のすごいのは住所は南高円寺。最寄りの駅は新高円寺。なのにロサンゼルス。であり東高円寺
どこやねーん
超かっこいい!!
という事で早速電話しました
ぷるるる…ガチャ
「はい。ロサンゼルスクラブ東高円寺です」
「(カッコイイ!!)あの〜僕らライブがすごくしたいです」
「はぁ?」
「本気です!!」
「は、はぁ?ブッキング希望ですか?ホールレンタルですか?」
ぶっきんぐ???はにゃ?なんじゃそりゃ?
恐ええ。ライブハウス恐ええ。
「ほ、ホール…レンタルで…」
かくして望まずして僕らの最初のライブはワンマンライブになりました。
3ヶ月間でワンマン!!
そりゃあ必死で練習しました。
俺は歌い!宮田は学んだ音楽知識を惜しみなく使い、ヨシロウはギターを掻き鳴らし、オガチは興味のないボンゴを叩いたりウロウロする!!
そしてけしてうまくは無かったけれど、僕らの初ライブは大成功で終わりました。完全燃焼でした。
あっという間の3ヶ月。
喧嘩をして、諦めて、踏ん張って、喜んだ3ヶ月間
メンバーはみんなすごく仲良くなっていました。
宮田がアメリカに帰る日。みんなで飛行場に見送りに行きました。
みんなの頬をつたう涙
そしてみんな思い思いのプレゼントを宮田にあげました
俺はキットカットを
オガチとヨシロウはフリングルスを
キーボードとベースはコーラを
宮田は涙を浮かべなから
「全部…アメリカで…買えるよ」
を最後の言葉にアメリカへ旅立っていきました。
染「しょうがねえなぁ〜。宮ちゃん帰って来た時戻る場所ないとあいつまた泣くからなぁ。バンド続けといてやるかぁ」
ヨシロウ「そうっすね」
オガチ「俺ベースを…」
かくして沢山の荒波を越えて今に続くFUNKIST船は大海原に飛び出しました
病気に全てを奪われたあの日。この日の僕の姿は夢物語だったはず。
暗い部屋で一人膝を抱えた日。こんな風に笑える自分がいる事を知らなかった
南アフリカで少女が僕に微笑みかけた日。世界に希望がある事に僕はきづけなかった
アウシュビッツの悲しい声に耳を傾けた日。僕の声は音を無くした
それでも仲間と呼べる人間と出会う度、僕の人生は輝きを取り戻しいつも眩しいほどの光りを感じるのです
孤独、仲間、音楽、命、
その全部をイコールで結んだ所にあるもの。
それがFUNKIST。
そうそれが僕のFUNKIST
僕の知る
『FUNKISTが出来るまで』
―完―
『月下のラスタカラー』
誰の声も聞こえない 僕ら走りだしたら止まれない
覚えきれる事は数少なく でも大切な事は忘れない
踊ろうダンスパーティーだ
みんな騒げこれが最後でもいいように
この歌のラスト作り上げる ここに集いしみんなのミュージックで
いぇーい(いぇーい)
1Day 1Night
一期一会の事を忘れていくぐらいなら僕は生きてても無意味
一人で笑えるほど強くなんかなりたくも無いし
誰かを思えるんなら それが僕ら一番の強み
人は流れ時も流れ 僕はまた君の事を想いました
時に明日が見えずに涙流れ でもみんなの笑顔に涙は枯れ
いつもどんな時でもわかりあえた 時間がたつの忘れ語り合った
あの日を胸に僕は今を生きる みんなで忘れないように 月と踊ろう
《あとがき》
長いストーリー最後まで読んでくれた人ありがとう。
僕は過去を振り返る事が大好きです。
その場所に留まる事も時には大切だとも思ってます。
どうやらいつも前ばかり見て進んでいけるほど強くもないようです。
そんな自分だからこそ過去を何度も振り返り、そこに置いてきてしまった痛みや苦しみに触れ、一つ一つ受け止めそして越えていきたい。
強くならなくてもいい
優しくなれるなら。
全ての出会いが僕を作ってる。
出会ってくれてありがとう
FUNKIST染谷西郷