2008.09.29 Monday
FUNKISTが出来てからパート3
《vol.3 狂気》
JOTAROを加わえ、最初のライブは惨敗でした…
理由はベースがロック過ぎた事
というかLUNA SEA過ぎた事
さらに言えば16才のJOTAROは…
下手だった(T_T)v
それでも当初不良だと思われたJOTAROは、案外素直な少年だったので、なんとかみんなについて行こうと毎日一生懸命頑張っていました
その中でJOTAROのスキル以上に僕を苦しめた新たなる障害
それはエスカレートしていくヨシロウ氏の無愛想でした
僕が明るく楽しい曲を作ってきても
「俺長調(明るい音色)の曲なら弾きませんよ。ヘラヘラライブするなんて絶対に嫌ですから。そんな曲やるなら俺舞台降りますから、先輩勝手に弾いてくださいよ」
よわったぁー。20才にしてヨシロウ氏は
【気難しいミュージシャン】
の称号をほしいままにしていました
そんなバラバラなメンバーをどうにかこうにかつなぎ止めながらの活動も1年が過ぎようとしていました
そんな時でした
あの事件が起こったのは
〜9.11 同時多発テロ〜
練習から帰り、何気なくTVを付けた僕の目にはありがちな派手なCGを使ったハリウッド映画が飛び込んできました。
少なくとも僕は最初そう思いました
次第に映像の内容を理解するほどに混乱は深さを増していきます
「なんだ?」
「なんで?誰が?なにが…?」
わけがわからなくなっている僕にニュースの言葉が飛び込んできます
「アメリカ、ボストンからNYへ飛び立った飛行機がツインタワーに激突した模様…」
「ハッ!!宮田!!」
僕は我にかえると先週宮田とやりとりしたメールを思い出して愕然としました
「染めちん元気?俺もバークリーあと半年で卒業だよ!!早く日本に帰ってFUNKISTやりたいよ。こっちでみっちり音楽理論を勉強してきたから、きっとバンドに活かせる事沢山あるよ。俺の住んでるボストンは基本的に寒いから、日本の夏が恋しいな。そうそう、来週休みを利用してNYに行ってきます。ベタだけど日本に帰る前に自由の女神とかでも観光しようと思ってる。奮発してマンハッタンにホテルとっちゃった。また帰ったらメールするね」
そのメールが届いたのが事件の丁度一週間前の事でした
僕は慌てて宮田に連絡をとろうと思いましたが中々連絡がつきません
それから心配な日々が2日〜3日過ぎた頃
宮田がら連絡が来たのです
「お前大丈夫だったのかよ!!」
「あぁ。一日違いだった。俺が取ったチケットは激突した飛行機の翌日のボストン→NYだったんだ。一日ずれてたら死んでたね…」
「そ、そっか」
それから短い会話を交わして僕は電話を切りました。
しかしその日を境に宮田のまわりの環境はめまぐるしく変わっていきました
多国籍の人間が集まる世界最高峰の音楽学校。
そこはさながら小さな世界の縮図です。
昨日までイマジンを愛していた友達が急に正義を語り出す。
中東から来てる生徒達はどこか不安げで、家のごく近所では全く事件と関係の無いインド人が「中東の人間だ」という理由だけで射殺される事件まで起きました。
少しづつ変わっていくアメリカの空気を肌で感じながら宮田の抱く違和感は日増しに大きく、そして現実的なものへと変わっていったのです
この場所は…なにかが狂い始めてる…
卒業まで残り3ヶ月を切ったある日
宮田は先生のもとを訪れ、一枚の封筒をを手渡しました
バークリー音楽大学無期限の休学届け
日本行きの航空券が鞄のなかで静かに時を待っていた
宮田泰治
FUNKIST復帰
数日前の出来事だった
《ボーダー》
声を声を声をあげて
越えよう越えよう誰かが引いたボーダーを
ファイティング フォー フリーダム
ファイティング フォー ラブ
ファイティング フォー コミュニケーション
ファイティング フォー ナウ
差し伸べた手に光る未来も 心満たしてくれる優しさも 僕の全てで
思想哲学宗教音楽も2人繋がるための障害も
声を声を声をあげて
越えよう越えよう誰かが引いたボーダーを
JOTAROを加わえ、最初のライブは惨敗でした…
理由はベースがロック過ぎた事
というかLUNA SEA過ぎた事
さらに言えば16才のJOTAROは…
下手だった(T_T)v
それでも当初不良だと思われたJOTAROは、案外素直な少年だったので、なんとかみんなについて行こうと毎日一生懸命頑張っていました
その中でJOTAROのスキル以上に僕を苦しめた新たなる障害
それはエスカレートしていくヨシロウ氏の無愛想でした
僕が明るく楽しい曲を作ってきても
「俺長調(明るい音色)の曲なら弾きませんよ。ヘラヘラライブするなんて絶対に嫌ですから。そんな曲やるなら俺舞台降りますから、先輩勝手に弾いてくださいよ」
よわったぁー。20才にしてヨシロウ氏は
【気難しいミュージシャン】
の称号をほしいままにしていました
そんなバラバラなメンバーをどうにかこうにかつなぎ止めながらの活動も1年が過ぎようとしていました
そんな時でした
あの事件が起こったのは
〜9.11 同時多発テロ〜
練習から帰り、何気なくTVを付けた僕の目にはありがちな派手なCGを使ったハリウッド映画が飛び込んできました。
少なくとも僕は最初そう思いました
次第に映像の内容を理解するほどに混乱は深さを増していきます
「なんだ?」
「なんで?誰が?なにが…?」
わけがわからなくなっている僕にニュースの言葉が飛び込んできます
「アメリカ、ボストンからNYへ飛び立った飛行機がツインタワーに激突した模様…」
「ハッ!!宮田!!」
僕は我にかえると先週宮田とやりとりしたメールを思い出して愕然としました
「染めちん元気?俺もバークリーあと半年で卒業だよ!!早く日本に帰ってFUNKISTやりたいよ。こっちでみっちり音楽理論を勉強してきたから、きっとバンドに活かせる事沢山あるよ。俺の住んでるボストンは基本的に寒いから、日本の夏が恋しいな。そうそう、来週休みを利用してNYに行ってきます。ベタだけど日本に帰る前に自由の女神とかでも観光しようと思ってる。奮発してマンハッタンにホテルとっちゃった。また帰ったらメールするね」
そのメールが届いたのが事件の丁度一週間前の事でした
僕は慌てて宮田に連絡をとろうと思いましたが中々連絡がつきません
それから心配な日々が2日〜3日過ぎた頃
宮田がら連絡が来たのです
「お前大丈夫だったのかよ!!」
「あぁ。一日違いだった。俺が取ったチケットは激突した飛行機の翌日のボストン→NYだったんだ。一日ずれてたら死んでたね…」
「そ、そっか」
それから短い会話を交わして僕は電話を切りました。
しかしその日を境に宮田のまわりの環境はめまぐるしく変わっていきました
多国籍の人間が集まる世界最高峰の音楽学校。
そこはさながら小さな世界の縮図です。
昨日までイマジンを愛していた友達が急に正義を語り出す。
中東から来てる生徒達はどこか不安げで、家のごく近所では全く事件と関係の無いインド人が「中東の人間だ」という理由だけで射殺される事件まで起きました。
少しづつ変わっていくアメリカの空気を肌で感じながら宮田の抱く違和感は日増しに大きく、そして現実的なものへと変わっていったのです
この場所は…なにかが狂い始めてる…
卒業まで残り3ヶ月を切ったある日
宮田は先生のもとを訪れ、一枚の封筒をを手渡しました
バークリー音楽大学無期限の休学届け
日本行きの航空券が鞄のなかで静かに時を待っていた
宮田泰治
FUNKIST復帰
数日前の出来事だった
《ボーダー》
声を声を声をあげて
越えよう越えよう誰かが引いたボーダーを
ファイティング フォー フリーダム
ファイティング フォー ラブ
ファイティング フォー コミュニケーション
ファイティング フォー ナウ
差し伸べた手に光る未来も 心満たしてくれる優しさも 僕の全てで
思想哲学宗教音楽も2人繋がるための障害も
声を声を声をあげて
越えよう越えよう誰かが引いたボーダーを